なたでここ

言いたいだけ

アイドルと(疑似)恋愛の話

 とても興味深い記事を拝読した。実はこの手の記事をずっと下書きにしたためていて、でもうまくまとめられなくて悶々としていたのだ。完全にインスパイアされた記事になるが、ここからは下書きにずっと眠っていたものに大幅に加筆して、私なりにアイドルとファンの間の(疑似)恋愛について、見解を述べていこうと思う。初めに断っておきますが、結構ゲスいです。

 

 ひとつ前の記事で、私は「気持ちが一過性のものではなく、時間とお金を蝕むようになったとき、便宜的に担当と呼ぶことに決めた」と述べた。ここで「便宜的」という言葉をあえて付加したのには理由がある。

 私の小山くんに対する感情って、認めたくないけれど限りなく「リア恋【枠】」なんだと思う。23歳にもなっていい加減にしろと自分でも思うが、間違いなく、ただの「担当」の枠には収まりきらないものがある。*1それは言うまでもなく、現実世界の私の好きなタイプに、小山くんが限りなく合致しているからだ。もちろんそれが彼の真の姿とイコールではなく、アイドルを演じる上でのリップサービスが含まれると理解していても。

 

  少し前に、ジャニーズウェブの連載での「浮気」問題が騒ぎになっていた。“(浮気してたグループは)かっこよかったですか?寂しさを紛らわせてくれましたか?”なんて論調だった。確かにちょっと棘のある言葉使いだったかもしれない。でも拗ねてる様子を素直に文章にして、まさしく(疑似)恋愛をしている!と思わせるために彼らはあえて書いているはずで、その思惑がストレートに伝わらないもどかしさはあっただろうな、と思う。人によって受け取り方も様々なんだな~とやけに感心したものだ。

 

 4人になってからのNEWSって、他のどのグループよりも「ファンの疑似恋愛の対象であろう」と努めてきたところがあると思っている。私たちファンを彼らはある人は「恋人」と、またある人は「妻」だと言う。コンサートは「デート」だし、もし他のグループに目を向ければ、「浮気どころか不倫だ」と軽々と言ってのける。ジャニーズウェブでは「早く会いたいね」、「早くいちゃいちゃしようね」などと愛の言葉を否応なく囁かれる。

 彼らがこういうスタンスである以上、ファンが彼らに対してある程度の本気度合で恋愛感情を抱くことは避けられないんじゃないだろうか。事務所全体である程度その「(疑似)恋愛」におんぶにだっこな商法をとっていることは否めないと思う。だからここでただの担当には収まり切らない「リア恋」と「リア恋枠」そしてその上を行く「本気愛」が登場するわけだ。あくまで私の見解だが、「本気愛」と「リア恋」、「リア恋枠」それぞれに共通するものとして、”彼らの隣にいる自分を思い描く”ということが一つ言えるのではないか。ただ、その本気度が異なっているだけなのだ。

 

 「本気愛」とは字のごとく本気で愛しているという意味で、つまり現実世界での好きな人は彼らアイドルとイコールなのである。本気愛を自認する人々で副担を設けている人はあまり見たことがない。ちょっと若い感覚の言葉を使うなら、「同担拒否」というのはここのカテゴリーに属するものだと考えている。本気で好きなら同担を拒否したくなる気持ちもわからなくはない。だって私にもそういう時期があったもの。学年の女子の多くから好意を寄せられる○○くんがいたとして、もし親友も私も○○くんに片思いしていたとしたら、その友情にひびが入ることもあるだろう。同担拒否とは、きっとそういうことなのだ。

 

 先述したが、「リア恋」と「リア恋枠」にも共通しているのが、彼らの横を歩くのはあくまで「自分」でありたいと願うことだ。彼らがドライブに行った、と言えば助手席に座っている自分を想像するし、お寿司を食べた、と言えばちょっとリッチなお寿司屋さんのカウンター席で一緒に食事する絵を思い描く。

 でも、ぶっちゃけた話「リア恋」も「リア恋枠」も、実際に自分が彼らの横を歩く日が訪れないことを頭ではわかっている。少し脱線するが、私が東京に出て女子大生として4年間生きて分かったことは、こんなに人がいるのに、意外と世間は狭いということだった。私ですら彼らを意外と身近に感じたのだから、もっとそれを実感、体感している人は一定数いるだろう。でも、「リア恋」「リア恋枠」を設ける人たちはみんな、ファンと彼らの間には不透明な壁が存在していて、その壁はどんなことがあっても壊されないことを理解している。そして、自分からその壁を壊そうと努力することはないだろう。これが「本気愛」との違いではないだろうか。どんなに距離が縮まったって、所詮アイドルと一般人は違う世界に生きているのだ。

 少し話がそれたが、じゃあ「リア恋」と「リア恋枠」との差は何かっていうと、「リア恋」は「担当」とイコールな人が多いように思う。現実世界でこんな人と付き合えたらなぁ……と思う人をそのまま担当にしているタイプ。でも、「本気愛」ではないから現実世界との区別はしっかりできている。かたや「リア恋枠」は担当の他に好きな人がいて、「リア恋【枠】」という自分の中での気持ちの置き所を作っているに過ぎないんだろう。担当とは少し違う、でもこの人は理想のタイプだから特別だなぁ、という感情に「リア恋枠」という名前をつけたのだ。もちろん現実世界との線引きは忘れない。

 「本気愛」だって「リア恋」だって「リア恋枠」だって、彼らが誰か人のモノになるのは許せないはずだ。だって彼らの横を歩きたいのは自分自身なんだから。だから熱愛報道なんかが出ると一様に落ち込むし、引いては日常生活にだって影響を及ぼしかねない。そういう反応を傍目から見ると、全部一緒くたに見えてしまうかもしれない。けれど、きっとこの三者の間には相容れない差異が存在していて、ある日突然何らかの外因によって行き来が生まれることもあるのだろう。

 

 かくいう私は「リア恋枠」に限りなく当てはまる人がいるにもかかわらず、その人をも「担当」の定義の範疇に無理矢理括っている。それはなんでか、というと、この「リア恋枠」という言葉を声高に主張するのに少し恥じらいがあるからだ。だって、もういい歳なのに、ファンサ厨でリア恋枠がいて、なんて、もう私の自意識がそんなの許さない。きっとこういう心境でいる人、少なからずいると思うんですがいかがですか?

 

 ここからは完全に自己満なんだけど、具体的にNEWSを疑似恋愛の対象に当てはめて考えてみたい。

 NEWSで不動の「リア恋枠」No. 1は小山慶一郎だろう。あんなに多方向から「結婚したい」って言われてる人、他に見たことない。確かに包容力があって、かっこよくて、綺麗好き*2で、かわいくて、サプライズなんかもちゃんとしてくれそうで、かわいくて……言うことない旦那さんになりそうだな、とは思う。

 かたや「リア恋」が多いのは手越祐也にみえる。特に若年層に多いイメージ。彼は結構わかりやすいリップサービスを常日頃怠らないから、そういう意味では一番キャッチーな存在たりえるだろう。

 そして「本気愛」が一番多そうなのが増田貴久。ある種の信仰めいたものがあの界隈にはある気がする。プライベートは決して明かさない、アイドルに徹したその姿勢も相まって、割ととっつきにくい一方で一度好きになったらどんどんのめり込んでしまいそうなタイプ。

 加藤シゲアキはというと、正直「本気愛」「リア恋」「リア恋枠」どれもあまりしっくりこなかった。多分それは、彼が一人でなんでも出来てしまうために、あまり女性特有の庇護欲を擽られないことが大きいと思う。勝手な印象だが、彼を敬愛の眼差しで見ている人が多そうだ。

 

 勝手に私の個人的な見立てで彼らを分類してしまった。彼ら自身はというと、結構そういう対象として見られることを喜んでいる節があるように見える。確か前に「なんか名前を変えられる小説*3みたいなのがあるんでしょ?面白いよね」というようなことを言っていた。アイドルだって一人の男の子なわけで、表現はどうあれ自分に対してまっすぐに向けられる好意は少なからず嬉しいものなのかもしれない。

 

 本当に書きたかったことの半分くらいしか文章にできなかった…ちょっと婉曲して伝ってしまいそうなので一応最後に但し書きを。ここまでつらつらアイドルと(疑似)恋愛について述べてきたわけだけど、別に人様がアイドルへ向ける感情を否定するような意図は一切ないです。あくまでこんな風に考えてるやつもいる、ってことで、流し読み程度に読んでいただければと思います。

*1:裏を返せば、私にとって唯一無二の「担当」はやっぱり手越祐也なのかもしれない

*2:多少行き過ぎていて潔癖ともいえるが

*3:小山くんがMCかなんかで言っていたと思うんだけど記憶が曖昧。すげーグレーゾーンの話ぶっこんできたよこいつ!と当時はひたすらに引いていた

ジャニヲタ文芸部 第0回 「担当」

ichigonokimi.hatenablog.jp

漸く時間が取れたので、こちらに参加させていただこうと思います。滑り込み!ずっと書いてみたかった「担降りブログ」のようなもの。でも私は「担降り」の経験がないので、「担“堕ち”」ブログ、いや、「担“増し”」ブログといったところになるでしょうか。

 

 *****

 

 担当が増えたあの時、私はまるで枝先に止まったトンボだった。

  もし私が5年前の私と対峙することがあったなら、「“担当”が2人いる、しかも同じグループ内に」なんて言いだしたが最後、横っ面をパーンとはたかれて「信じらんない、私はそんな風な大人になったりしない」なんて捨て台詞を吐かれるだろう。それくらい当時の“担当”に対する人々の考え方は一夫一妻制的というか、“掛け持ち”はとかく公言するものではなかった記憶がある。“担当”を一人に絞らなければならないために“神”に昇格されるものもいれば、“副担”としてサブの位置づけに置かれるものもあった。それが今はどうだろう。いわゆるDDという概念が浸透して、今まで声高に叫ぶことが出来ず、人々が泣く泣く1人に絞っていた“担当”を複数持つことは“悪”ではなくなった。

 先に私の中の“担当”の概念をはっきりさせたい。私にとって“担当”とは、「時間とお金を惜しみなく使える人」のことである。私は熱しやすく冷めやすいタイプで、“好き”の気持ちの大小は正直言って時期によって変動するものであるという認識なので、“担当イコール一番好きな人”と言い切ることは出来ない。その揺れ動く気持ちが一過性のものではなく、時間とお金を蝕むようになった時、その時は便宜的に“担当”と呼ぶことに決めた。

 過去何度かこのブログ内でも述べてきたように、私は手越祐也という人を担当するようになって約12年になる。12年間のうち、最初の6年くらいは本当に盲目だった。いつか彼と付き合うことを夢見ていた時期だってある。彼がすることなすこと全部知りたかったし、いつだってそこには肯定の感情しかなかった。彼を否定するものは私が粛清する、くらいの気持ちでいた。でも、私が好きになった頃の彼がいなくなりつつあるという不安が大きくなっていった。

 4人体制になってから初めて行ったコンサートで、私は今まで目もくれなかったはずの小山慶一郎という人に堕ちた。スタンド最前列で手越祐也のうちわを振っていた私の目の前に立った彼は、あろうことか私の肩へと手を伸ばし、私の目をじっと見据えて20秒ほど歌い続けた。そして去り際に、まるでトンボを捕まえんとするかのように人差し指をくるくると回し、私の視線をくぎ付けにしただけでなく、心まで全部攫っていった。「好きになるのに、1秒もいらない」というキャッチコピーがあるが、あの時私にはおよそ30秒もの猶予が与えられていた。こんなに大きくてわかりやすい釣り針を!?と戸惑ったことは否めない。それでも、釣られてみることにした。

 しかしそれからおよそ1年半もの間、私は自分を偽り続けた。手越担であらねば、という義務感が苦しいほどに私を縛った。担当とは1人であるべきだ、と思い込んでいたからだ。明らかに熱量のベクトルが小山くんの方を向いていると気づいていながら、私はそんな自分の心に蓋をした。

 同じグループ内で気になるメンバーが増えると、非常にのめり込みやすいものだと学んだ。CD・DVDの類は基本的に全て揃っているから新しく買い求める必要はない。雑誌(の切り抜き)だって結構なラインナップだし、過去のテレビ・ラジオ等もある程度はデータが残っている。なにより、グループのことを新たに学びなおす必要がない。普段日本中心の世界地図を見慣れた我々がヨーロッパ中心に描かれた世界地図に多少の違和感があるように、これまで手越祐也を中心に観ていたものを違った視点から観てみるのは、純粋に新鮮で面白かった。どんどん深みにはまる自覚はあった、それでも私は手越担であり続けたかった。

   2015年3月21日、私はガイシホールにいた。「この名古屋3公演で降りるか降りないか決めよう」そう思って。でも、結論から言って無理だった。私にはどちらか一方を選択するなんてできなかった。

 もし小山くんの手を取れば、私はこの12年を棒に振ることになる、という気持ちが一番大きかった。これはやっぱり義務感だろうか、今となっては別になんだっていいのだけど、とにかく、“手越祐也を担当していない自分”が想像もつかなくて、なんだか自分の体の一部がなくなってしまうような気さえした。羽をもがれたトンボはこんな気持ちなのかもしれない。そんな時に限って、何年かぶりに彼からファンサをもらったりするものだから、私は結局のところ手越祐也という人の呪縛から一生逃れられないのだと悟った。こんな幸せな呪縛、他にあるだろうか。

 そして、私は自分に嘘をつくのをやめた。どっちも好きなのだ。だから、小山くんが好きだという気持ちも素直に大切にしてみようと思った。6月14日、東京ドームで初めて紫色の字で書かれたうちわを持つことにした。前の日に鏡の前でうちわを持ってシミュレーションをして、あまりに所在なさげな自分に驚いた。思った以上に手越担という肩書きは私のアイデンティティーと化していたらしい。それでも当日、私のうちわを見つけた小山くんは、まさに神対応ともいうべき反応を示してくれた。天にも昇る心地とはこのことを言うのだろう。

 同じグループ内で担当を2人持つことが禁忌とされてきたのは、例えばコンサートのように、2人を同時に愛せない瞬間があることが問題なんだろう。どちらかを選ぶということは、どちらかを捨てるということだ。平等に愛を注げないなら、複数を愛す資格なんてないのかもしれない。私は小山くんのことは対異性に準じる目で、てごちゃんのことは母親のような気持ちで応援している。そういう風に好きのベクトルが異なっているのだから、と自分を正当化して、しばらくはこの”一妻多夫制”を続けさせてもらうつもりだ。

 人間はカメレオンではないから、視線は一方にしか向けることが出来ない。コンサート中に2人を追いかけるのは結構大変だけれど、双眼鏡という大きな眼を装備した私は、あの時やっぱり魔法にかけられて、恋するトンボになったのだ。

 

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ジャニーズとインテリジェンスについての考察

先日放送されていた、「NEWSな2人」を観た。自担Gながら、ああいう切り口の番組をいただけるなんて、なかなかやるじゃないかと思う。夕方のニュース番組でキャスターを務める小山慶一郎と、既刊4冊の作家先生、加藤シゲアキ。ただの「アイドル」という肩書きだけじゃやっていけない世の中だ。キャスターと作家業、これだけでもアイドル+αの肩書きとしては十分だと思うけど、それに加えて(これはジャニーズに限らないが)大卒を前面に押し出す近頃の売り出し方って一体何を志向したものなんだろうか。

 
 
そもそも、彼らが“インジャニ”*1を自認し始めたのっていつなんだろう。ちょっと個人的な話になるが、私は第一志望の大学に落ち、結果としてMARCHを卒業した身であるので、同じくMARCHを出たコヤシゲがインテリなら私もインテリになるのか……?とむず痒い思いをしていたりする。第一弾の放送時にはちょっと恥ずかしい、なんて言っていたが、シゲちゃんの自意識的にはその辺りはどうなんだろうか。
 
 
別にあえてリストアップしたりはしないが、ジャニーズが通う大学といえば関東有名私大が軒を連ねる。彼らが持つ能力だけで判断するなら、私は岡本くんはもっと評価されてもいいと思う。上智であれだけ英語を操れるならもっとインテリ売りをしたっていい。後は最近何かと話題の伊野尾くん。院まで出てるジャニーズって今までいなかったし、もっと声高にひけらかしてもいいような気がする。自担Gじゃないから知らないだけかもしれないが、少なくとも私には、彼らが自分の学歴や知性を全面に押し出しているようには見えない。“インジャニ”売りをしていいポジショニング、そうじゃないポジショニングが事務所内にあるんだろうか。もちろん年齢や時期だったり、演技寄りなのかバラエティー寄りなのか、といった個々の担う役割によるものはあるんだろうけど、なにかあるのだとすれば、その基準を知りたいものだ。
 
 
大学とは専門的な高等教育を行う最高機関であるから、頭がいい指標として大学を出ているか出ていないかで区別する理由はなんとなく理解できる。全人口に占めるパーセンテージという意味で、有名大学がステータスになるのもわかる。でも、大学は知見を広めるのには役に立ったけど、卒論を書いて卒業して一応学士となった今もなお、勉強したー!という感覚は私にはない。人並みにおサボりをしたことは確かに認める。でも、結構勤勉な学生であった自負はあるんだけど、やっぱり院まで進学して文字通り学問を修め、修士にならなければそういう達成感は生まれないんだろうか。
 
 
クイズ番組なんかを見ていると、ああいう全方位型の幅広い知識を蓄えていたのは実は高校生の受験の時期だったといつも思う。先日TOEICの試験を受けたが、大学時代より100点ほど下がっていて唖然とした。これが受験生の頃なら+200点くらいは軽いと思う。人間はとかく忘れる生き物だ。だからああいう番組で大卒だからってジャニーズが出演して、散々な成績に終わることが多い*2のをみると同情の念すら湧いてくる。頭の良さと学が身についているかっていうのは別問題で、その人の習慣が大いに影響すると思うし、物を知ってても礼儀を弁えていない、自分勝手な振る舞いをする人は残念だ。*3ジャニーズとしての出来のよさと、芸能界の中での出来のよさもまた似て非なるものだろう。でも、やっぱり学歴を明かしてテレビに出るなら、一般の目に触れたときにある種の先入観を持たれても仕方がない。無知は咎めるものではないと思うし、学ぶ機会がなかったのなら、学んだ時点で次から活かしていけばよいだけの話だ。
 
 
そういう意味では、先日のnews every.内での小山キャスターの振舞いはいい例になるのではないか。ノーベル賞を受賞された大村教授と中継が繋がっていた際、小山キャスターは名前すら名乗らずに不躾に質問をした。その後、藤井キャスターが「日本テレビnews every.という番組です、きちんとご挨拶することも出来ないまま質問するご無礼をお許しください」と一言挨拶をすると、小山キャスターの「すみません」という声が入る。直後に小山キャスターが発言する際には「小山と申します」と挨拶が入り、直前の学びが活かされていた。
 
 
こういう失敗を槍玉にあげたい人って少なからずいると思う。別に自担だから擁護するわけじゃなくて、私だって面白くはない。社会人1年目の私だってこれくらいの挨拶は当たり前にして然るべきだと思っている。この時小山くんは自分の失敗に気がついて、学び、すぐに軌道修正した。こういう人のいいところをどんどん学んで自分のものにするハングリー精神というか、素直さは評価されてもいいのではと感じる。素直に自分の無学さを認められる能力は学びの姿勢において結構重要だ。
 
 
ジャニーズ+インテリという付加価値も、きっとそう遠くない未来には飽和状態になるだろう。そうなった時、彼らはどんな風に自らを差別化していくんだろうか。個人的には東大ジャニーズとか、法曹ジャニーズとかそんな現在の大卒ジャニーズの上位互換が出現したら、きっとその人は安泰だろうなと感じる。特に法曹なんて、最悪ジャニーズを離れても食いっぱぐれる心配はなさそう。後はやっぱり国公立大学、特に旧帝大あたりに進学する人なんかがいてもよさそうだ。でも今のJr.の勤務形態からいうと1年くらい休業しないと難しいかな。
 
 
ジャニーズとインテリジェンスの考察なんて仰々しいタイトルを付けたが、実際のところジャニーズと学歴について御託を並べてしまった。あくまで私がここまで述べてきたことはジャニーズの知性や品格を否定するものではないし、むしろ彼らほど器用に何でもこなす人はいないんじゃないかと本気で思っている。クイズ番組に出てるときだって、「もう!なんでこんな問題もわからないのかわいいhshs」なんて風に実に美味しくいただいている。“インジャニ”も一つの形だし、サッカーが上手いジャニーズだって、ジャニーズ兼フリーアナウンサーだって、ジャニーズ兼作家だって、全部「ただのアイドル」でいたくなかった彼らが手にした彼らにしか使いこなせない武器だ。仮に性格に欠陥があったって、(あまりいい例えではないが)女癖が悪かったって、突き詰めればそれすらも差別化を図るための武器になりうる。唯一無二の自分の武器を掲げる彼らは、みんな優秀な自己プロデューサ―だ。彼らが最低限持ち合わせていなければならない賢さは、学歴とは関係なく、自分の能力を知り、上手くまだ未開拓の分野、いわゆる“隙間”に入り込み、それを対外的にアピールできる能力とイコールなのかもしれない。

*1:インテリジャニーズの略。「NEWSな2人」内で加藤シゲアキが言及

*2:“インジャニ”に関してはこれすら計算の一環で、実は我々は手のひらで転がされているんじゃないかと思うことさえある

*3:好きで応援しているからこそあえて言及するが、「NEWSな2人」内で小山くんが人を指差しているのを見て少々幻滅した。シゲちゃんがロケ中に突然不躾な振る舞いをするのも結構目に付く

舞台「グレート・ネイチャー」雑記【ネタバレあり】

久々の小山慶一郎主演舞台、「グレート・ネイチャー」。4回お邪魔させていただきました。そして本日は東京千秋楽ですね〜!いやはや、小山くんが納得のいく舞台になってたらいいなぁという気持ちでいっぱい。
 
 
正直あらすじを書くのも難しいようなお話で、最後まで観てもはて?という感想しかないのですが、メモがてら考察やら萌えポイントやらつらつらと書いていきます。まだ大阪公演残ってますが、早く書かないと私の記憶が薄れちゃうので思いっきりネタバレしてます。自衛よろしくお願いします。それでは追記から。 続きを読む

#とある(社会人1年目)ジャニヲタの1日

moarh.hatenablog.jp

 

便乗もいいところですが面白かったので私も書いてみる。

 

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  • 0:30~6:50 睡眠

多少の増減はあるが、一番スタンダードな睡眠のとり方は多分こんな感じ。結構寝なくてもやっていけるタイプなのだが、仕事中にうとうとしてしまうので出来るだけ6時間は寝るようにしている。NEWSのレギュラーものはこの時間帯までに大体終わるので、心置きなく寝れるのである。たまに入ってくる深夜帯の特番等は、仮眠を挟んだりして対応する。

  • 6:50~7:45 準備

シャワー・朝食・着替え・メイクなどを全てこの時間に行う。優雅な朝とは無縁な人間なので、夜のうちに用意しておいた朝食を食べ、シャワーを浴び、顔と髪型を人前に出られる状態まで持っていき、着替えてマッハで家を出る、というような感じである。ちなみにこの間ずっとテレビではZIPが流れている。社会人になってから一度も寝坊や遅刻をしていないことがひそかな自慢。

  • 7:45~8:45 出勤

通勤手段は最寄駅前(家から徒歩3分)からのバス10分+徒歩15分である。バスを降りたところにあるコンビニに毎朝立ち寄り、飲み物を買ったり発売日にはテレビ誌等をチェックするようにしている。その後歩くのはほぼ公園の中なのであまりストレスはない。航空業界とはいえニッチな職についているので、ちょっと人里離れたところに勤務先が位置しているのがたまに恨めしくなる。通勤時間にはiPodでNEWS/ABC/L'Arc/VAMPS/BRZの好きな曲だけを集めたプレイリストを聴きながら、自宅のレコーダーと連携しているアプリで番組の録り逃しがないか確認し、キーワード録画で引っかかっていた不要な番組を消去したりしている。会社には8:30前後に到着するが、そこから着替えたりメイクを直したりして45分頃に自席につく。

  • 8:45~17:45 仕事

定時は9:00~17:30なので、だいたいこんな感じで会社にいることになる。昼休みは一応12:00から45分間設定されているのだが、この時間に業者対応をしたりすることが多いのであまり時間通りにとることはできない。でも別にブラックと言うわけではなく、仕事中は自由にお菓子を食べたりして勝手に休憩をとることが奨励される。若い女子ということで甘やかされている部分が多分にあって、ほぼ毎日餌付けされているために太ってきたような気がする。*1仕事領域が3つの課にまたがっていて、新入社員の事務職にしては結構仕事量が多いんじゃないかと思っている。週に1度くらいの頻度で、1~2時間の残業をすることもある。デスクマットに挟んだにゅーすの写真をみて元気をもらいながら日々業務に励んでいる。

  • 17:45~18:30 帰宅

合間合間に携帯の確認はするものの、半日分のTL及びLINE等のSNSをまとめて追いながら帰宅する。聴いている音楽等は通勤と同じなので割愛。水曜日は帰宅してテレビをつけた瞬間「気になる!」が始まることが多い。

  • 18:30~24:30 自由時間

自由時間と書いたが、これは特にお風呂に何時に入る、とか決めているわけではないためにざっくりとした表記になってしまった。この間に夕食、お弁当作り、家事、入浴も含まれている。ブログの下書きを書くことも多い。職業柄機密情報が多く、仕事を家に持ち帰ることは禁止されているため、基本的には自分のことだけやっている。今月は「グレート・ネイチャー」をはじめ夜に家にいないことが多く、あまり自炊が出来なかったのだが、来月からは再び頑張りたいと思う。

 

以上がスタンダードな私の一日である。なにも面白いことはないが、自分の生活を客観視できたのはいい機会だった。社会人として駆け出しの私はまだこんな風なタイムマネジメントしかできないが、諸先輩方の #とあるジャニヲタの1日 タグを舐めまわすように熟読し、より仕事もプライベートも、そしてジャニヲタとしても充実した日々を送っていきたいものである。

*1:今日は萩の月を3つももらった

ジャニヲタの自己表現―私も過去の日記を公開してみる

小山くんがJohnny's web で連載している「メンバー愛」が先日1100回を達成し、最新100回分のバックナンバーが公開されていた。それを読んでいて、約一年の間に人の書く文章はこんなに変わるのかと思った。と、思った矢先にこれらの記事を読み、ますます過去の日記について私も語りたいという想いが出てきた。(勝手にリンクさせていただき申し訳ないです。もし不快に思われるようでしたらお手数ですがご一報ください)

moarh.hatenablog.jp

herodontsing.hatenablog.com


私がジャニーズファンとしてインターネット上に書き込みをしたのは、恐らく掲示板が初めてだったろうと思う。大体4~5箇所に出没していた記憶がある。当時お話していた方の中には、今や某有名ツイッタラーである方もいらっしゃった。通過儀礼としてにちゃんねるも経験した。NEWSは“石鹸”と呼ばれていたし、てごほしというかわいらしいキャラクターまで存在していた。にちゃんねる用語や顔文字を駆使して文章を構成するのに一定期間ハマり、にちゃんねる用語を使いこなせることがステータスだと思っていた節がある。

 

そういった掲示板にレポや画像を載せ、人々と交流を図ることはあっても、個人の日記を書くことはなかった。おそらくこの時期に私はジャニヲタとしてのBlogを作成したと思う。日々の番組等の感想をかなりのハイテンションで書き連ねていた。URLを忘れてしまったことが悔やまれるが、ヤプログJUGEMの順で移行した。特にJUGEMブログにはかなり力を入れていて、当時流行していたPictbearを使用して画像を加工し、拙いHTMLの知識でそれなりに見栄えのするものを作って、ランキングに参加していた。

 

そしてその後作成したのが個人ホームページである。このころ、前略プロフィールとCROOZブログがジャニヲタの間で一大ムーブメントを巻き起こしており、私もそのブームに従った。そしてあまりPCを使って文章を書くことはなくなり、活動の場をmobile space等で作成したホームページに移した。この時、そのホームページ内でスキャン画・キャプ画の配布を行ったり、「手越祐也同盟」*1と称し、いわゆる手越担が手越担であることを自身のホームページ上で主張するためのバナーを配布したりしていた。実に手広くやっていたものである。もしこの当時のわたくしをご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ親しくさせていただきたいものです。

 

同時に運営していたCROOZブログには購読機能が備わっており、パスワード付の記事を更新し、購読者にのみ届くメールマガジンでそのパスワードを知らせるという形態がよくみられた。私もコンレポを書く際にはなぜかパスワード付きで更新をしていたのである。ということで、遡ること6年前、テゴマスのうた♪仙台公演後に私が綴った記事を掲載する。

 

じゃあいい加減書く書くと言っていたてごますのうた♪について書こうと思うわけです�*2


まずバスの中は最初こそ楽しみだねー!とか話したものの岩手県に入るころからはすっかり爆睡しました。まあよくあるオチ�←*3
んで仙台に入ったころに覚醒して画伯のカバン持ってる人いっぱいいる!ってびっくりしてた�


んでグッズ買いに行ったんだけど超ギリギリで(笑)2部始まる前だと絶対時間なかったから買えてよかった��


席は思ったよりも近くて�普通に顔見えたし�ただ私大失敗したのがペンラを忘れたのね。←まあグッズにもないしそこまで使う感じじゃなかったけど大多数持ってたからやるせなかった�*4


最初暗くなってミソスープからのドキュメンタリー?ダイジェスト?みたいなの流れてもはや泣きそうな私←
でも二人が出てきた時に一気に涙がスッって引いて!引き込まれる、っていうか。CDなんかよりずっしりしてるっていうか。ほんとに気付いたら一曲終わってる感じだった�


らら桜のギター弾いてるのにきゅんきゅんしまして�ファンタスティポの時ずっと手越さん萌えダン踊ってて超かわいかった!


個人的にかんなりMC心配してたんだけど!全然大丈夫じゃないか君たち�っていう←
トニセンBOXとかね�韓国行って目的3時間で終わるってすごいよね←
後手越さんメール返さないっていう話。私これずっと突っ込まないでおこうと思ったんだけど、あえて言わせてもらうと、君昔メール大好きキャラだったよね?(笑)付き合う女性の条件に5分以内にメール返ってくる人って書いてたよね?私鮮明に覚えてるけど�まあ人は変わるもんだからいいけど←

 

MCの最後にまっすーが顔洗いに行って手越さんが一人に!ちょ、あなた一人でMC出来るの�という私の予想を前にテンパる手越さん。きゅん�だよね。七夕の願い事を一生懸命考えに考えて…

(´・ш・)<プロのサッカー選手になりたい


らしいです(*^_^*)����そんな悩むことかwさんざん言っといてwといつもなら突っ込むとこですがデレ期マジックですねここは。


んでばーっと歌って!セトリうろ覚えだからやめとく。んで最後にキッスみんなで歌った時またうるっときまして�アンコールであれは反則!小さな恋の片想いもね�ほんとにあの曲大好きだからさー!最終的にはWアンコだったんだけど、三回目おねだりしたときに

 

(´・ш・)「曲なくてふにゃんふにゃ~ん」リ `∇´ノリ

 

って!尻ぷりぷり!←なにあの生き物!きゅんとしたわよ!最終的に

 

(´・ш・)<わがまま言ってんじゃねーよ

って言ってたらしいけどw@リ `∇´ノリ談

 

ほんっとーに楽しかったです����ありがとう��すごい倍率の仙台の追加じゃないやつだったんだもんね!*5マナーもそんな気になんなかった。ただ砂時計歌ってくれなかったのが悔やまれるな�アンコールで歌って欲しかった�

 

文字化けしているところは絵文字です。バグってて表示ができないようで申し訳ない。この記事はなぜか2つの記事に分けて更新されていたのだが、特に分量も中身もなかったのでくっつけて掲載してみた。今改めて自分の文章を読んで、よくこんな浅薄な記事を購読してくださっていた方がいたものだと思っている。当時親しくしていただいていた皆様、ありがとうございました。しかし最近すごく惹きつけられる文章を書く方が、いざ年齢を確認すると年下であることがままあり、結構驚いている。ジャニーズが高学歴化しているように、我々ファンの側もそういう風潮があるのかもしれない。

 

URLを忘れてしまったために、昔の自分の文章を辿れるものがCROOZブログしかないのがとても悲しい。*6ジャニヲタとして生きること12年超、私のジャニヲタとしての歴史を追うことはつまり、NEWSの歴史を追うことでもあるはずだ。だから、23歳の私は、もし30歳を超えた私がこのブログを読み返した時に、いつ何があったかということが鮮明に蘇るような、そんな文章をつづる使命があると考えている。未来の自分のための使命感がこんなことだなんて、と思うけど、でも私はジャニーズを空気のように摂取して生きているのだから、たぶんそれでいいのだ。

 

明日はグレート・ネイチャーの私的初日です。楽しみすぎて吐きそうです行ってまいります

*1:参加資格として、ゆくゆくは神になる☆、「手紙」「手段」等を「手越」と見間違える、などがあったと思う

*2:当時そこそこ購読者がいたために、CMを跨ぐような感覚でコンレポの更新を先延ばしにし、人々の期待を高めていたものと思われる。その割にはお粗末な記事ですが

*3:秋田(地元です)→仙台は高速バスで移動した

*4:ちなみに私はとにかくペンライトを忘れる女で、番協等に参加する際もいつも家を出てから打ちひしがれる。6年前から一向に成長していない

*5:この時は後から追加公演が発表されたのだが、私は追加に回されることなく当初の日程での当選だった

*6:前略プロフィールは見ることが出来るのだが、あまりに黒歴史すぎるので自分の心にそっとしまっておくことにする

『閃光スクランブル』とキリスト教

 

 

閃光スクランブル

閃光スクランブル

 

 

今更ながら加藤シゲアキ先生の著作を読んで感想を述べるシリーズ(勝手に命名)も3回目。今回取り上げる2作目の『閃光スクランブル』は、実家へ帰省する道中の機内で読了した。羽田から1時間5分のフライトだったが、10分ほど残して読み終わったように思う。ちなみにうちのてごちゃんはもう読み終わったのかしら。

 

例によって一応たたんでおきます。今回割とぼろくそ書いてるのでご注意ください。あと、ちょっと宗教の話をしています。こちらも苦手な方はご自分で回避を。聖書については大学時代にレポート書くときに少しかじった程度の知識なので(そんなんで書くなって話ですが)、もし間違い等ありましたら優しくご教授くださいorzそれでは追記から。

 

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