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『傘をもたない蟻たちは』読書感想文

 

傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 

 

6月1日発売の加藤シゲアキ初短編集、『傘をもたない蟻たちは』を昨日購入、今朝読み始めて一気に読了した。いわゆるフラゲというやつである。過去に雑誌掲載されていたものとはいえ、発売前なので詳細は控えようと思うが、初見の感想をちょっとばかり記しておく。と、いうことで追記は結構というか思いっきりネタバレにあたる表現が出てくるので各自読む読まないは自己責任でお願いします。

 

 個人的に好きだったのが、「undress」と「インターセプト」、そして書き下ろし先品「にべもなく、よるべもなく」。どこまであらすじなんかを書いていいのかよくわからないけど、この3作品についてちょっとだけ語らせてもらいます。

 

「undress」

当たり障りない程度にあらすじを述べると、仕事をやめて心機一転新たな人生を歩もうとする男の転落劇、とでも言っておきましょうか。この話、面白かったんだけど、「やっぱ真面目だなー。大西さん以外みんな浮気してますよ(p.59)」というセリフで大体の展開が読めてしまって、ちょっとそこが残念だった。

さて。作中に繰り返し出てくる“エンジェルナンバー”がとても気になったので軽く調べてみた。

serendipity-japan.com

ここからは私の解釈ですが。“11時13分”、“886円”、“2224円”という“エンジェルナンバーになりきれていない数字”にも作者は何らかの意味を持たせてるんではないかと思った。上記リンクを参照すれば、「1」には自分が考えた通りの人生が始まるという意味があり、「8」は今までやってきたことの収穫時期であることを表し、「2」は祈りが現実化する前兆であるという。そう、つまり、大西の描いていたビジョンが全て打ち砕かれていく、このことはこの“エンジェルナンバーになりきれていない数字”からこの時点で読み取ることが出来たっていうことになるのかな、と。

「脱」サラ、別れを告げた女が自分がプレゼントしたストールを「脱」ぎ捨てる、など、自分から「脱」いだ、「脱」したと思っていたものが実は自分という存在を堅持するために大切なものであったと大西が気づいたとき、彼は社会から「脱」落した事実に向き合うことになる。

唯一わからなかったのが、「おーにーばーばー」と言う言葉しか発しない老人の存在。単に大西が会社内で疎まれていたことを読者に知らせる役割を担う者にしては、あまりにも存在感がありすぎる気がする。

「undress」の意味を辞書で引く。

undress

【自動】
      衣服を脱ぐ、脱衣する
【他動】
  1. ~の衣服を脱がせる、飾りをとる
  2. ~を暴露する
【名】
    平服、ふだん着

 (undressの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク

 大西はスーツを脱ぎ捨て、普段着の姿になったとき、全ての暴露を聞き及ぶことになった。なるほど、「undress」というタイトルはなかなかに考えられたものだな、と思う。

 

インターセプト

簡単にこちらもあらすじを述べると、高嶺の花・中村安未果をわがものにすべく、行動心理学を巧みにつかって迫る林。しかし彼女を手中に収めた後で彼が知る真実とは―。こんな感じでしょうか。

まず初めに気になったのが、以下の描写。「彼女の瞳は相変わらず冷めきったブラックコーヒーのようだ。しかし俺は負けじと、温かいミルクティーのような眼差しを彼女に向け続ける。(p.162)」舞台は結婚式会場のテラス。すぐそばにはバーカウンターがあり、安未果はディタ・グレープフルーツを、林はロングアイランド・アイスティーをそれぞれ飲んでいるというのに、なぜここで比喩に使われる飲み物はノンアルコールドリンクなのだろうか。例えば黒いカクテルならキューバ・リブレ、ミルクティーのような色合いならカルーアミルクだって当てはまるように思う。作者がここでカクテルを比喩に用いなかった理由が私にはわからない。

 ふたりの共通の趣味(のはずだった)アメフト用語としてのインターセプトは「(守備の選手が)相手チームのパスをノーバウンドでキャッチする」という意味であるという。恐らくもともとの意味の「妨害」からくるものだろうとは思うんですけど、おそらくこの作品で使われているのは「傍受する、迎撃する」の方の意味だろうと。少なくとも安未果は、既婚者である林にとっての妨害者足りうる存在である。フェイスブックでネットストーキングを重ね、林の捨てるゴミを拾い集め、とうとう自室に彼の(元)私物のみで構成される部屋を作り上げた安未果と、行動心理学で安未果を手中に入れ、男たちの羨望を得ようとした林。どちらがどちらを迎撃したのか。

で。生理の下りとか、ストーキングする下りとか、本当によくもまあこんな女書いたなって思わずにいられなかったんだけど、これってファンに対してシゲ自身が感じてることをぶちまけてみたんじゃないのかなあと。どこのブランドの服やアクセサリーを持ってるとか、どこのお店でご飯を食べるとか、そういうプライベートを事細かに暴かれて、ミラーリングじゃないけどファンはそっくり同じ行動をとろうとするでしょ。まあ私もそういうことに関しては他の人たちに右ならえなので大口叩けないんだけど、ファンのそういうところに辟易して、安未果っていう架空の害悪を想像してみたりしたのかなーと。

「こんな僕だけど、捨てないでね」って。そういつメッセージに私は捉えてしまった。

 

「にべもなく、よるべもなく」

親友ケイスケに性的嗜好をカミングアウトされて動揺する少年・純の心模様が描かれるこの作品。冒頭に挿入されている「妄想ライン」、あれは車で致しているっていう解釈でよろしいのですかね?洋楽に合わせて女が身体を揺らすので車が上下に動くのはまあそういうことでしょうし、助手席の女が変わって、また元に戻るというのは普段の女と最中の女は別人のようだっていう比喩なんだろう。目の前で泣いていた女が落ち着きを取り戻すと元の女に戻ってたっていうのは事が終わったってことだろうし。

作者が知ってて書いたかはわからないけど、こういう作品を読むと私が回想してしまうのはフォースターの「モーリス」かなあ。

1909年、ケンブリッジ大学。キングス・カレッジの寮生モーリスは、同期生で優等生のリズリーと討論を交わすために訪れたトリニティ・カレッジで、討論のメンバーであるクライヴ・ダーハムと出会った。彼は、知性に満ち、ギリシャの古典的理想主義と同性愛の信奉者で、夏のある日、モーリスに愛を告白した。しばらく後、クライヴの別荘、ペンダースレイ・パークで過ごしたモーリスは、そこに集う優雅な人々に魅了されると同時に、2人の親密さは増していった。1911年、学校を卒業した2人は、それぞれ違う道へ進んだ。モーリスは株の仲買人に、クライヴは法廷弁護人として働いていた。そんな矢先、優等生だったリズリーが同性愛者として風紀罪で逮捕され、自ら同性愛者であることに後ろめたさを感じたクライヴは、ひとりギリシャへ旅立った。そこで、母から勧められた女性との結婚を決心するクライヴ。クライヴの愛を失ったモーリスは、絶望の底におとされるが、クライヴに招かれ訪れた別荘で、政治家への野心に満ちた彼の姿を見て、もはや何の愛も感じなくなっている自分に気づいた。その別荘で、彼は、ダーハム家の猟番の若者アレックから愛情を注がれる。身分違いからの脅迫を恐れたモーリスは、はじめはその愛を拒むが、やがて深く愛し合うようになる。アレックが、家族と共に海外へ移住するために船に乗り込む日、モーリスは見送りに行くがアレックは姿を見せなかった。ペンダースレイを訪れたモーリスは、クライヴの偽善的な生き方を彼に向かって批難した後、ポートハウスに向かった。そこではアレックがモーリスを待っているのだった。

モーリス | Movie Walker

似てるなあと思ったけど、改めてあらすじを読むと「モーリス」と「にべも~」に共通してるのは年頃の男子が性的嗜好を意識し始める転換期を描いていることだけなのかもしれない。別にケイスケと純は両想いになるわけじゃない。ただ、ケイスケのカミングアウト後に純がとった行動は、自分もケイスケの眼に映りたい、自分もそういう対象として見てほしい、という欲求を孕んでいる。

作中で純はよく体の不調を訴えたり、吐き気を覚え、また実際に吐いたりする。それは自分の知っているものが変わりゆくときに決まって起こる。作中に出てくる順番で述べると、一度目は工藤先輩が男同士で口づけしている場面に出くわした時。二度目はケイスケのカミングアウトを受けた翌日。三度目はケイスケの嗜好を理解しようとレンタルビデオショップに行った帰り道。四度目は、兄にもらったレザージャケットを3年ぶりに引っ張り出し、カビが生えているのを目の当たりにした時。五度目はアダルトビデオを見た時だ。彼は自分の知っているものが変わってしまうことをうまく受容できない。そしてその変化への拒絶は、決まって体の変調となって現れる。

この吐き癖から解放されるきっかけとなったのが、赤津舞を無理やり抱いたことである。誰よりも良く知っているはずの自分が初めての性行為を経験することによって変化を遂げたその後、純はこう述べる。「ふと僕は思った。ケイスケをうまく理解できない僕が、赤津舞を勝手に犯した僕こそが、とてもとてもとても汚らしい存在なのかもしれないと。こんなにも周りに迷惑ばかりかけてしまうのは、僕自身が誰よりも汚れているからに違いない。そしてその汚れを他の人にも移してしまっているのだとしたら、本当に僕は最低の人間だ(p.241)」この血によって汚されるという聖書的な表現にもなにか意味があるのだろうか。その辺りはよくわからないが、少なくともこの場面に言えるのは、純は自分がオトナになりつつあり、その過程で性が芽生えることに対してある種の汚らわしさを感じていたようである。この異様なまでの性への拒絶は、初めて触れた性愛が同性同士のものであったことが純に対して何らかの影響を与えていた、そういうことなんだろうなあ。

 

 短編集ということでさくっと読めたんだけど、今回触れなかった残りの3作品についてはちょっとよくわからなかったし、あんまりわかろうとも思わなかった。全体的に読後感がいいとは言えない作品ばかり集まっている割には、本当にライトな口あたりだなぁという感想です。そんなに難しい言葉を連ねてるわけじゃないから読みやすかった。改めて、忙しい中で身を削って作品を書き上げた小説家加藤シゲアキに敬意を表します。お疲れ様でした、素敵な作品をありがとう。アイドルNEWSも明るい話題ばかりで、ファンとしてその振り幅にとても期待しています!