なたでここ

言いたいだけ

ジャニヲタ文芸部 第0回 「担当」

ichigonokimi.hatenablog.jp

漸く時間が取れたので、こちらに参加させていただこうと思います。滑り込み!ずっと書いてみたかった「担降りブログ」のようなもの。でも私は「担降り」の経験がないので、「担“堕ち”」ブログ、いや、「担“増し”」ブログといったところになるでしょうか。

 

 *****

 

 担当が増えたあの時、私はまるで枝先に止まったトンボだった。

  もし私が5年前の私と対峙することがあったなら、「“担当”が2人いる、しかも同じグループ内に」なんて言いだしたが最後、横っ面をパーンとはたかれて「信じらんない、私はそんな風な大人になったりしない」なんて捨て台詞を吐かれるだろう。それくらい当時の“担当”に対する人々の考え方は一夫一妻制的というか、“掛け持ち”はとかく公言するものではなかった記憶がある。“担当”を一人に絞らなければならないために“神”に昇格されるものもいれば、“副担”としてサブの位置づけに置かれるものもあった。それが今はどうだろう。いわゆるDDという概念が浸透して、今まで声高に叫ぶことが出来ず、人々が泣く泣く1人に絞っていた“担当”を複数持つことは“悪”ではなくなった。

 先に私の中の“担当”の概念をはっきりさせたい。私にとって“担当”とは、「時間とお金を惜しみなく使える人」のことである。私は熱しやすく冷めやすいタイプで、“好き”の気持ちの大小は正直言って時期によって変動するものであるという認識なので、“担当イコール一番好きな人”と言い切ることは出来ない。その揺れ動く気持ちが一過性のものではなく、時間とお金を蝕むようになった時、その時は便宜的に“担当”と呼ぶことに決めた。

 過去何度かこのブログ内でも述べてきたように、私は手越祐也という人を担当するようになって約12年になる。12年間のうち、最初の6年くらいは本当に盲目だった。いつか彼と付き合うことを夢見ていた時期だってある。彼がすることなすこと全部知りたかったし、いつだってそこには肯定の感情しかなかった。彼を否定するものは私が粛清する、くらいの気持ちでいた。でも、私が好きになった頃の彼がいなくなりつつあるという不安が大きくなっていった。

 4人体制になってから初めて行ったコンサートで、私は今まで目もくれなかったはずの小山慶一郎という人に堕ちた。スタンド最前列で手越祐也のうちわを振っていた私の目の前に立った彼は、あろうことか私の肩へと手を伸ばし、私の目をじっと見据えて20秒ほど歌い続けた。そして去り際に、まるでトンボを捕まえんとするかのように人差し指をくるくると回し、私の視線をくぎ付けにしただけでなく、心まで全部攫っていった。「好きになるのに、1秒もいらない」というキャッチコピーがあるが、あの時私にはおよそ30秒もの猶予が与えられていた。こんなに大きくてわかりやすい釣り針を!?と戸惑ったことは否めない。それでも、釣られてみることにした。

 しかしそれからおよそ1年半もの間、私は自分を偽り続けた。手越担であらねば、という義務感が苦しいほどに私を縛った。担当とは1人であるべきだ、と思い込んでいたからだ。明らかに熱量のベクトルが小山くんの方を向いていると気づいていながら、私はそんな自分の心に蓋をした。

 同じグループ内で気になるメンバーが増えると、非常にのめり込みやすいものだと学んだ。CD・DVDの類は基本的に全て揃っているから新しく買い求める必要はない。雑誌(の切り抜き)だって結構なラインナップだし、過去のテレビ・ラジオ等もある程度はデータが残っている。なにより、グループのことを新たに学びなおす必要がない。普段日本中心の世界地図を見慣れた我々がヨーロッパ中心に描かれた世界地図に多少の違和感があるように、これまで手越祐也を中心に観ていたものを違った視点から観てみるのは、純粋に新鮮で面白かった。どんどん深みにはまる自覚はあった、それでも私は手越担であり続けたかった。

   2015年3月21日、私はガイシホールにいた。「この名古屋3公演で降りるか降りないか決めよう」そう思って。でも、結論から言って無理だった。私にはどちらか一方を選択するなんてできなかった。

 もし小山くんの手を取れば、私はこの12年を棒に振ることになる、という気持ちが一番大きかった。これはやっぱり義務感だろうか、今となっては別になんだっていいのだけど、とにかく、“手越祐也を担当していない自分”が想像もつかなくて、なんだか自分の体の一部がなくなってしまうような気さえした。羽をもがれたトンボはこんな気持ちなのかもしれない。そんな時に限って、何年かぶりに彼からファンサをもらったりするものだから、私は結局のところ手越祐也という人の呪縛から一生逃れられないのだと悟った。こんな幸せな呪縛、他にあるだろうか。

 そして、私は自分に嘘をつくのをやめた。どっちも好きなのだ。だから、小山くんが好きだという気持ちも素直に大切にしてみようと思った。6月14日、東京ドームで初めて紫色の字で書かれたうちわを持つことにした。前の日に鏡の前でうちわを持ってシミュレーションをして、あまりに所在なさげな自分に驚いた。思った以上に手越担という肩書きは私のアイデンティティーと化していたらしい。それでも当日、私のうちわを見つけた小山くんは、まさに神対応ともいうべき反応を示してくれた。天にも昇る心地とはこのことを言うのだろう。

 同じグループ内で担当を2人持つことが禁忌とされてきたのは、例えばコンサートのように、2人を同時に愛せない瞬間があることが問題なんだろう。どちらかを選ぶということは、どちらかを捨てるということだ。平等に愛を注げないなら、複数を愛す資格なんてないのかもしれない。私は小山くんのことは対異性に準じる目で、てごちゃんのことは母親のような気持ちで応援している。そういう風に好きのベクトルが異なっているのだから、と自分を正当化して、しばらくはこの”一妻多夫制”を続けさせてもらうつもりだ。

 人間はカメレオンではないから、視線は一方にしか向けることが出来ない。コンサート中に2人を追いかけるのは結構大変だけれど、双眼鏡という大きな眼を装備した私は、あの時やっぱり魔法にかけられて、恋するトンボになったのだ。

 

 

*****

 文章を書くのが好きで、創作なんかをしていた時代もありました。でも大学生の時に本を読んで(無理やり)何かにこじつけてレポートを書くという4年間を送ってきたので、そういう文を書くことで最近はなんとなく満たされるものがあって。そういえば義務教育時代に何度か読書感想文で表彰されたこともあったなと思ったりして。それでシゲちゃんの本の感想を書いたりしてたんだけど、ジャニーズの分野で何か月もそんなような内容のブログ書けるわけじゃないし…と思っていた所にこんな素敵な企画に出会えて嬉しいです。

 随筆って何ぞやと思いながら探り探り書いたので読みにくかったら申し訳ありません。 いつも通り自分語りがひどいし、なんかちょっと文章がクサくて自分で書いておきながら結構引いている。しかも例えがトンボかよと思ったでしょう、私も思ってます。産む苦しみを知った今だからこそ言う、シゲちゃんほんといつも読書感想文でぼろくそ言ってごめんやで(懺悔)

  皆様の作品を拝読するのを楽しみにしております。